« 前   TOP  次 »

2007年05月07日

“第二の母”とともに その4

三波春夫著 「すべてを我が師として」より

 最近私は、舞台や映画、テレビでときどき、あまりうまくもないチャンバラをお見せしていますが、母は私のチャンバラを見るたびに、あばれものだった少年時代の私に泣かされたことを、思い出しているに違いありません。


 新しい母が来たおかげで、家の中は明るくなって来たものの、父の“人のよさ“がわざわいしてか、今度は家運のほうが少しずつ傾きはじめていたのです。


 売掛金があっても、強引に取り立てられない父。そのために、問屋へ支払う金がない。支払いをしなければ、問屋が品物を卸してくれないのは当然です。
 焦った父は、株に手を出しました。これが失敗して、大きなアナをあけてしまいました。
「東京へ出て、新規まきなおしをしよう」
 やることなすことが思わしくなく、故郷の町にいや気がさした父は、ついに東京へ出ることを決心したのです。

<八島>
 家計が傾いた原因は、三波の父親が商売人として上手ではなかったということです。しかし、この時代の、豊かではない村の一地区だったことも遠因だったと、当時を知る人から聞きました。
そのためもあってか、社会経済的にお金がまわっている東京に出る決心をしたようです。