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2007年05月22日

“浪曲に悲しみを忘れて” その7

三波春夫著 「すべてを我が師として」より

 そして、私はついにある日、おもいきって寿々木米若先生に入門願いを出したのです。『佐渡情話』が大好きだったこと、米若先生が私と同じ新潟県出身で、浪曲界で一番に尊敬している方だったからです。


 しかし、私の期待は裏切られ米若先生から、芸界の苦労、きびしさなどをこまごまと記した、丁重な断り状をいただきました。内弟子になることは、あきらめなければなりませんでした。
 昭和十三年いっぱいで、三穂製麺工場をやめた私は、翌年の正月から魚河岸(東京中央卸売市場)で働くようになりました。
 川悦(かわよし)という魚問屋を経営していた、叔父の仕事を手伝うことになったのです。夜中の二時から、朝の九時ごろまでの仕事ですが、叔父が病気のときなどは、私がセリにも出ました。しかし、もうかるのは鰯だけでした。

<八島>
 当時の大人気の浪曲家のおひとりである寿々木米若さんは、「佐渡へ佐渡へと草木もなびく」の『出世佐渡情話』でお馴染みでしたが、少しだけ新潟訛りが音調にあり、それが何とも言えぬ味がある名人でした。のちに三波春夫が歌手として世に出たあとも、米若さんとは交誼を重ねさせていただいておりました。