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2007年05月09日

“第二の母”とともに その6

三波春夫著 「すべてを我が師として」より

 小学生時分の私はスキーと相撲の選手でした。背は大きいほうではありませんでしたが、わりあいにからだががっちりしていて、クラスの中でも力の強いほうだったので、全校から十人選ばれて、県下の対抗試合に出たこともあります。


「北詰は力も技も抜群だ」


 先生からもほめられ、嬉しくて眠れなかったことや、対抗試合に勝って、盛大な祝賀式が行なわれたことなどが、走馬燈のように、私の頭のなかを去来するのでした。


ゴムグツをはいた私は、そんな思い出を胸に、木枯しが音を立てて吹きまくる道を、いうにいわれぬ、哀惜の心を残しつつ、駅へ向かって歩いて行きました。

<八島>
 夜逃げ同然の上京の予定を事前にクラスメイトに話せるはずがなく、その“決行”までの何日かの間で、自分の持ち物の筆箱や本などを少しずつ友達にあげたそうです。「なんだよ文ちゃん、気前がいいなあ」と言われても理由は説明出来ず、別れのあいさつも出来なかったそうです。