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2007年05月21日

“浪曲に悲しみを忘れて” その6

三波春夫著 「すべてを我が師として」より

 しかし、私は工場の仕事を怠けていたわけではありません。夏の忙しいときなど、朝の六時から深夜の二時までぶっ続けに働きました。その過労で、あるときなど、脳貧血を起こして倒れ、人事不省になったこともあります。或る時、左手に十六針も縫うような大怪我をしたこともありましたが、そのときは、母がえらい見幕で、主人のところへどなりこんで来ました。


 「あのときのお母さんの顔は、ものすごかったなぁ」
 後になって、そのご主人が苦笑したことがありますが、母はつねに私のことを心配していてくれたのです。こうして製麺工場で働いているうちに、私の胸の中では、
 「なんとかして浪曲で身を立てたい……」
 という気持ちが、次第にふくれあがって行きました。

<八島>
 このときのケガの痕は、三波の左手の甲にごく小さく残っていました。
歌手・三波春夫のステージでの大きなアクションは特徴的でしたが、手の動きも注目されるものでした。ファンの方々はよくご覧になっていて「三波先生の手が分厚くて丸目でいいわぁ!」と、その手までも気に入ってくださっていました。三波春夫の手はマイクを握り、ファンの方々と握手をし、筆を常に使い色紙や原稿を書いて過ごしたのでしたが、たまの息抜きにはゴルフクラブを握ったものでした。ゴルフは昭和30年代後半から始めていて、大好きでした。腕前ですか?ハンディは13でした。