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2007年05月30日

“南篠文若の誕生” その4

三波春夫著 「すべてを我が師として」より

 三ヵ月ほどたったとき、前記の小峰甚太郎さんのお世話で魚河岸有志がテーブル掛けを贈って下さいました。
八丁堀の住吉亭で、その披露をし、私はモタレを読ませてもらいました。


 そのテーブル掛けには、私の名前南条文若丈江と書いてありました。現在のお金で三十万円位もする立派なものでした。
 昼間は魚河岸で働き、夜は学校へ行ったり、寄席へ出たり、やがて一年八ヵ月たったとき、校主の崔さんは、私に一枚看板を作ってくれたのです。
 そして、私ははじめての巡業に出ました。一行は五人で、三味線は堀井清水さん。静岡県三島市をふりだしに、東海道を酉に下って、旅興行をつづけました。浪曲家南篠文若の誕生というわけです。

<八島>
 昨日の続きですが、モタレとはトリの前。良いポジションの出番です。テーブル掛けの披露ということで南篠文若のお客様も多いので、席亭さんのご厚意もあったのです。
 “テーブル掛け”はお判りになりますか? 浪曲のステージングは、浪曲の発展途上に桃中軒雲右衛門(とうちゅうけんくもえもん)という名人が演出して確立された独特のスタイルがあります。それは、《舞台中央に金屏風を背負って演者が立ち、演者と屏風の間には背もたれが高い椅子。演者の前に演台のテーブル。その下手(しもて:舞台に向かって左)横に湯呑みを置く背の高い台。上手(かみて)下手にも屏風が立てられ、その前に各々小さな台。演台や台に、富士山の形に台形に裾を長くしたテーブル掛けがかけられる。演者の演台のテーブル掛けの正面には絵柄が描かれ、○○丈江(芸人に敬意を込めて、○○さんへ、という意味)と名前が入り、贈り主の名前も入る。両脇のテーブルも連動した絵柄が書かれている》という具合です。
 このような舞台は日本らしい様式美です。一度ご覧になりたい方は、「三波春夫 芸能生活55周年記念リサイタル」DVDまたはVTRの冒頭場面に登場いたしますので、是非ご覧下さい!その場面では、三波が半生をコンパクトに浪曲で語っているので面白いですよ。