
最近おおぜいの方が私に、「自叙伝を書いてみないか」と、すすめて下さっていました。
しかし、歌手としても人間的にも未完成の私が、「されば自叙伝を・・・」などとペンをとってみたところで、物笑いの種になってしまうのではあるまいか、とためらっていました。
けれども考えてみれば、人間死ぬまでが修行だといわれていますし、浪曲から歌に、そして演劇にと、芸能生活二十四年を経た私が、自叙伝の一冊も残せぬとは意気地のないこと・・・。
そして、この平凡な男が、まるで山坂道をよいしょよいしゃと汗をたらしながら、はい登ってきたような記憶が、案外みなさまの目に留まるかも知れない・・・。
「なるほど三波という男も、われわれと同じように苦労してやってきたんだ。あいつはこんな考え方をしている男なのか・・・。」
そんな風に考えていただいたり、また、これから芸能界に志そうという若い人たちの心に、ひとかけらのパンに似たほどの肥やしになることでもできたら、さらに幸せこの上ないことだと、思い切ってペンを取り始めたのです。
ですから、この記録は決せいて偽りを書いてはいけない、自分の心をありのままに写しておくフィルムでなくてはならない。単なる自慢話めいたものは書かぬように、私が歩いた道程の上で私が出くわしてきた事件を、社会的背景とからみあわせて書いて行きたい・・・。
すなわち、戦争と平和と芸能と、私がその生い立ちから、少年期、青年期を経て現在に至るまでに、この肌で感じてきたものを、生の言葉で綴りあわせてみたい、と考えたのでした。
尊敬する故長谷川伸先生のお言葉の中に、「人間は誰でも一生に一作は立派な小説を書けるものである。それは、偽りのない自己の姿を描く”自叙伝”である」とありました。
そのお言葉をただ一つの心のよりどころとして、私はこの自叙伝をやっと書き上げたのです。
三 波 春 夫
<八島>
この「はじめに」から自叙伝が始まります。
一生に一作の心で“えいやっ”と書き上げた初めての著作です。
しかし、三波はこの本のほかに生涯で7冊の著作を出版しました。
それにつきましては、またの機会にご紹介させていただきます。
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