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2007年04月17日

渋海川(しぶみがわ)のほとりで その1

三波春夫著 「すべてを我が師として」より


 大正十二年七月十九日、つまり関東大震災の一ヶ月半ばかり前、新潟県三島郡越路町塚山という田舎町に、一人の男の子が生まれました。


父の名は北詰幸三郎、母はミヨ。そして、この夫婦にとっては三番目の子供である赤ん坊は、文司と命名されました。いうまでもなく、その男の子が、現在の私なのです。
 私の家は、印刷、文房具、瀬戸もの、書籍と、なんでも売っているトランジスタ・デパートみたいな”なんでも屋”でしたが、近所の人たちは、この店を”ホンヤ”あるいは”セトモノヤ”と呼んでいました。


 家のそばには、渋海川という川が流れていました。私はヨチヨチ歩きのころから、この川の岸辺を遊び場とし、つくしをつんだり、魚釣りをしたり、そして夏ともなれば、ひねもす流れにつかって遊びほうけていました。いまでも、故郷のことを思い出すたびに、まっ先に私の瞼に浮かんでくるのは、この渋海川のほとりの風景なのです。


渋海川ばかりでなく、塚山というところは、四方を山にかこまれ、四季それぞれの美しいながめ、果実や川魚など、自然の幸にめぐまれた素朴な町でした。

<八島>
自然の幸ゆたかな故郷で遊んだ少年時代。
「夏休みの間、朝、遊びにでかけるときに塩を持って家を出るんだよ」と、
私に話してくれたことがありました。「汗をかくから、塩分補給?」とききますと、
「違うの。畑でなってるキュウリとかトマトとか失敬して、その塩をかけて食べたわけ。
ハハハ。当時の子どもはそうなんだよ、知ってる家の畑だもの」
・・・大らかなものだったようです。