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2007年04月19日

渋海川(しぶみがわ)のほとりで その3

三波春夫著 「すべてを我が師として」より

 昭和五年九月九日、私が七つの時でした。「世界中でいちばん好きな人」と、私が口ぐせのようにいっていた母が、私たち三人の子供達を残して、とつぜんこの世を去ったことです。病名は腸チフス。
 幼い私は、教えられたとおり「南無阿弥陀仏」と口で唱えながら、母のなきがらを湯かんする祖母の姿を、うつろな目で見つめていました。うつろな目-というのは、そのとき私もまた、母と同じ病に犯されていたのでした。


 その日はちょうど、年に一度の秋祭りが近づいた夜のことで、遠く宵宮の太鼓が静かな町に聞こえていました。
 私はタンカにのせられて、病院へ運ばれて行きました。そのタンカの上で、母の死顔をまざまざと思い浮かべながら、夜空を見ると、空いっぱいに、青く澄んだ星がキラキラとまたたいていました。
 その美しい星空を仰ぎながら、私はつぶやくように、母に別れを告げました。
「おかあさん、さようなら!」
 私の頬には涙がとめどなく流れていました。そして、私は町外れの避病院へと運ばれて行ったのでした。