2018年11月16日

八岐遠呂知(やまたのおろち)という男

 「石見神楽」の圧巻は、大蛇を相手に剣を振るう若き英雄・素佐之男尊の立ち回りです。たしかにこれは神楽の傑作でしょう。

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ヤマタノオロチは、本当はなに?
次回から明かされていきます!

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2018年11月09日

日本歴史の創立者 出雲王朝の神君⑥

 美保ケ関には、輸出する商品や輸入する珍しい物が集まりましたから、そこはまた、泥棒たちの稼ぎ場所となりました。

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次回からは、ヤマタノオロチのお話です。

来週金曜日に更新いたします。

2018年11月02日

日本歴史の創立者 出雲王朝の神君⑤

 こうした貿易が行われていたのは、島根県の美保ケ関。きっと、美保ケ関には日本海の荒波を越えて来た大豆が陸揚げされていたでしょう。冬の波浪が荒いことで有名な日本海ですが、 美保湾だけは、背後に山がそびえて屏風(びょうぶ)の役目を果たしていて、湾内は静か。外国船が楽々と入港して来られるのが素晴らしい特長です。

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先述させて頂きましたとおり、1986年放送のNHKさんの「昼のプレゼント ~三波春夫の北前船紀行~」の初日のロケ地が美保関でした。
そして、この番組から生まれた歌が「あゝ北前船」。輸入された大豆も、北前船で各地に運ばれていったのですね。
三波春夫が書いた歌詞の中に『北前船は 宝運びの心意気』と有りました。
現代のお仕事でも、“宝運び”が多種。安全運航、運行をお祈りします!

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2018年10月26日

日本歴史の創立者 出雲王朝の神君④

 記録をみると、日本の足利時代に、日本刀が中国にたくさん買われていますが、太刀にしても槍にしても、また、今でも生活の道具である包丁、ハサミ、カンナ、鎌、ナタなど、どれをみても刃金は大切です。焼き直しが利く日本刀の鋼がよく売れたわけです。

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この頃から大豆を輸入していたんですね!

ではではまた、来週金曜日に更新致します!!

2018年10月19日

日本歴史の創立者 出雲王朝の神君③

 鉄を、武器として世界で初めて使ったのは、紀元前二〇〇〇年頃に小アジアに王国を樹立したヒッタイト人だそうです。中国の秦の始皇帝が国内統一を果たしたのも、鉄資源を有効に利用していたのです。

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遠い遠い昔に、想像力を駆使して思いを馳せて頂くこのブログ…。
次回も、付いてきてくださいませ!!

来週また、金曜日に更新いたします!

2018年10月12日

日本歴史の創立者 出雲王朝の神君②

 輸出品が優れていなければ発展がないのは、昔も今も変わりません。日本からの主なる品目は、出雲の砂鉄から造る玉鋼(たまはがね)や粗鋼(あらはがね)ではなかったかと私は考えます。

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 この『聖徳太子憲法は生きている』は、1998年の出版でした。その前年に、NHK大河ドラマ「毛利元就」が放送されていて、それを拝見していて気付いたことを書いたのでした。
 三波春夫は、毎年の大河ドラマを欠かさず拝見していましたが、テレビ視聴時間自体はフツーに短い方だったかと思います。大河ドラマのほかには、相撲中継(笑)。それと、ニュースと天気予報でしたか…。
 そう書きながら思い出しましたが、私が小さい頃はほッんとうに家に居る時間の無い父親でしたが、ある日私が一人で“毎週見ているマンガ番組”を見ていましたら、一緒に見始めてくれて、かなり嬉しい…と思った私でしたが、私以上に喜んで大きな声で笑って観ていたのでビックリしました。(笑)
 …どなたかとご一緒に観たテレビの思い出は、おありですかー?

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2018年10月05日

日本歴史の創立者 出雲王朝の神君①

 素佐之男尊という人物は、経済を実によく分かった大政治家でした。

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美保関には思い出があります。
1986年のことですが、私が父・三波春夫との二人旅で“北前船”の航路を南から北へ追いかけてレポートをした番組がありました。
NHK「昼のプレゼント “三波春夫の北前船紀行”」です。
月曜~金曜日まで5日間にわたって放送されましたが、その初日のロケ地が美保関で、「ホーライッチャ」というお祭りのことなどが印象深く、三波春夫も満面の笑顔で仕事をしておりました。
この番組から生まれた歌が「あゝ北前船」。作詞・三波春夫、作曲・浜圭介氏の名曲で、聴けば必ず元気が出るので、オススメです!!

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2018年09月28日

聖徳太子憲法を読む 隠された古代日本史 語り部 稗田阿礼の正体は②

 兵庫県揖保(いぼ)郡太子町鵤(いかるが)に稗田神社という社があります。稗田阿礼のお孫さんたちが祀ったのだそうで、ここには稗田阿礼が祀られています。そして、御祭神の名は「稗田阿礼比売(ひえだのあれひめ)」。「比売(ひめ)」というのは女性を示す言葉ですから、稗田阿礼は明らかに女性だったということです。しかも、合祀(ごうし)されていた神様は素佐之男尊。それを聞いて、私は、阿礼比売さんが日頃考えていたことの一端を知ったように思いました。

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ウソ、イツワリは…、自分が気持ち悪いですよね。(笑)
次回からのスサノオさんを、お楽しみに!!

また来週金曜日に更新いたします。

2018年09月21日

聖徳太子憲法を読む 隠された古代日本史 語り部 稗田阿礼の正体は①

 『日本書紀』の製作は大変な作業だったでしょうが、本当の歴史についての記述は希薄でした。そのため、『日本書紀』が十巻まででき上がったのを御覧になった持統女帝がびっくりされて、『亡き夫君の天武がこんな歴史書を作れとおっしゃったはずはない』と、太安万侶に『古事記』の作成を命じられる運びとなりました。

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むか~しの出来事ですが、解明された事実を知ると面白いですね。

この続きはまた、来週金曜日にアップいたします。

2018年09月14日

隠された古代日本史 日本書紀と古事記④

 私が平成六年に組曲として「平家物語」を発表するまで、六年間にいろいろと研究したのですが、清盛という人も英雄であり大政治家でした。朝廷権力を民間の手に移したその大きな仕事は、現代に続いているわけです。

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「前例のとおりに」や「慣例ですから」と言いながら、物事を運ぶ流儀の人もおいで
になります。
しかし、それではいつの間にかに、人として本当にやらなければならないこ
とを置いてきぼりにすることになるのではないか…というのが、三波春夫の考え方で
した。
分かっているのに見ない振りをして自分に嘘をつくこと、は、出来ない質で
した。
ですから、白河天皇、平清盛が真実を求めたことを、「いいなぁ」と思って
ご紹介したのでしょう。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。